この記事は塾生獲得実践会の森智勝氏のご厚意により、全国学習塾援護会のHPから転載したものです。
3月14日、WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の東京ラウンドで、日本が一次リーグ突破を決めました。韓国戦では北京オリンピックのリベンジを果たす大勝でした。もちろん、勝負は時の運ですが、それでもオリンピックとの違いを思わずにはいられません。昨年のセミナー等でも触れたのですが、ここで星野監督の「こだわり」と原監督の「しなやかさ」についてお話したいと思います。
「星野仙一」と聞いて、ほとんどの人が抱くイメージは「燃える男」「男気」「闘将」等ではないでしょうか。それは、彼の生まれ持つ資質ではあるのでしょうが、多分にセルフ・マネージメントによって作られたイメージのように思います。彼は自分の商品価値を高く保つ術(すべ)を持っています。
アジア予選を全勝で突破した星野監督は、それ以降「予選メンバーを優先して選考する」と明言していました。いわゆる「星野一家」の親分肌を全面にアピールした形です。絶不調の上原投手、故障が深刻だった新井選手、川崎選手、直前まで入院していた村田選手もメンバーに選びました。結果はご存知の通り。新井、川崎両選手は疲労骨折が発覚し、村田選手は放ったヒットがわずかに2本。打率1割にも満たないという成績でした。上原選手も登板したのは2イニングのみ…。
選手選考は「戦略」の部分ですが、「戦術」でも「こだわり」が仇(あだ)となりました。象徴的なのが岩瀬投手の起用法です。正直、準決勝の韓国戦、同点の8回に岩瀬投手が登板したことに唖然!とした日本人は多かったと思います。(もちろん、私もその一人です。)それまでも投げる度に「メッタ打ち」にあっていたにも関わらず、「それが俺のやり方」(試合後星野監督談)で登板させたのです。岩瀬投手の実力や実績は評価しますが、短期決戦では調子の良い者を優先して起用するのが鉄則です。星野監督は鉄則よりも自らの信念(こだわり)を優先させたのです。
もちろん、全ては結果論です。もし、金メダルを取っていたなら、星野監督は日本のヒーローと称えられたことでしょう。しかし、結果で評価されるのはプロの宿命です。
さて、「結果が全て」という点ではビジネスも同じです。自らの美意識を守ることは尊いとは思いますが、結果が伴わなければ意味がありません。また、美意識の強い人は、ややもすると不調の原因を他者に求めがちになります。曰く「不況が…」「少子化が…」「教育意識の低さが…」等々。これではプロとは言えません。実は、星野監督が非難された原因は、成績不振そのものよりも、試合終了後に語った「審判が…」「昼間の試合が…」が言い訳に聞こえたことによります。
私はアマチュアならば自分の美意識にこだわることは当然だと思います。しかし、プロならば…。
私は「こだわり」そのものを否定するつもりはありません。ただ、世間から支持されて初めて意味があると思うのです。料理人は「こだわりの味」で勝負していますが、誰も美味いと言わない「こだわり」ではプロとして成立しないということです。
その点、今回のWBCの原監督にはある種の開き直りが感じられます。それは、二転三転した監督選考の混乱の末、役目を押付けられた?という事情も関係があるのかもしれません。
選手選考段階でも和田投手、岸投手、松中選手など、誰もが当確と思っていた選手を大胆に外し、山口投手、岩田投手、亀井選手といった実績では数段劣る選手を選んでいます。今、調子が良い選手を優先したのです。また、その起用法にしても、それまで4番で使い続けていた稲葉選手を韓国戦では大胆にもスタメンから外し、昨年の首位打者とはいえ実績でははるかに劣る内川選手を起用しました。「イチローは3番が適役」と言い続けながら、不調と見るや、本番ではあっさりとトップバッターに据えました。原監督には「こだわり」がないかのようです。星野監督の方が見ていて「物語」を感じ、面白いと思う人は多いでしょう。しかし、原監督の無勝手流には「しなやかさ」を感じます。
星野監督の「こだわり」と原監督の「しなやかさ」。どちらが正しいとは言えません。それは経営者の資質によるところが大きいでしょう。ただ、プロである以上、前述のように結果で評価されるという覚悟が必要です。
学習指導のプロとしては成績向上や進学実績が問われます。経営者としては売上や利益が重要です。
塾の経営者の中には、自らの指導法や経営法に「こだわり」を持つ人が大勢います。問題は、どこに焦点を当てて「こだわるか」ということです。
「ここだけは譲れない」というコアの部分、暗黙知の部分には徹底的にこだわるべきです。しかし、その周辺部分は柔軟に対応してもいいと思うのです。そうした「しなやかさ」も必要なのです。
また、今の「こだわり」が充分に世間から支持されているかどうかを客観視することも重要です。星野監督の言を借りれば、やっぱり「勝ったチームが強い」のです。
我々は人間国宝を目指しているわけではありません。人間国宝を目指すならば強烈なこだわりが必要なのかもしれませんが、それでも人間国宝の作った皿は誰も使えない…いわゆる無用の長物です。少なくとも教育者は芸術家ではありません。
「こだわり」と「しなやかさ」。この一見矛盾する2つの要素を両立させることが経営者としての才覚であり、醍醐味なのでしょう。