この記事は塾生獲得実践会の森智勝氏のご厚意により、全国学習塾援護会のHPから転載したものです。
いよいよ後期が始まります。これからの取り組み一つ一つが来春の募集に直結することは言うまでもありません。
セミナー等で何度も触れていることですが、塾にとっての社会貢献の王道は、「健全な競争」によってより良い学習環境を提供し、地域の学力レベルを上げることです。そのことによって将来の日本社会全体のレベル向上に寄与することです。
ソマリアで看護活動に従事しているボランティアの若者たちの行為はもちろん尊いのですが、それと同じように我々塾人の行為も尊いと考えています。つまり、ビジネスとしての塾を考えた場合、我々が第一に考えることは決して無料で補習をしたり教材を提供することではなく、より効果的な学習システムを構築することであり、それを多くの子供たちに提供する工夫を考えることです。マーケティングは、あなたの提供する「より良い商品(暗黙知)」を市場に広く知らしめる方法論です。誤解を恐れずに言えば、「あなた」は多くの生徒を集めることによって「より役に立たない塾」に通って不幸になる子供を1人でも多く救わなければならないのです。私がマーケティングの重要性を強調する第一義的理由がここにあります。
教えることは充分条件ではない
多くの塾経営者と話をしていると、「塾(講師)は教えることが仕事だ」と考えている方が多い。これが学校の先生ならばその通りです。教師は四十人を前に授業をしようが、離島の分校で二人の生徒を前に授業をしようが報酬は変わりません。教えることに差はないからです。しかし、塾の場合はそうはいきません。何より、生徒が二人では経営が成り立たちません。この例を考えても「教えること」は必要条件であり充分条件ではないことがお解かりいただけると思います。講習前などに塾長が「一人でも多くの塾生に受講してもらえるように積極的に勧めてくれ」と言うと、社員講師の中には「私は数学を教えるために入社したのであり、セールスをするのは私の仕事ではありません」と拒否をする人がいます。これは塾人の役割を充分に理解していないことから起こる軋轢(あつれき)です。第一、教えることだけならば、映像教材を導入すれば良いということになり、その方がよっぽどコスト削減になります。繰り返しますが、塾の仕事は「教えること」だけではありません。
数年前の縦断セミナーで「授業を売るな、感動を売れ!」というテーマでお話したことがあります。最近は「感情の論理」という言葉で表現しています。「感動」とは文字通り「感情が動く」ことですが、ビジネス用語としては次のように説明することができます。
「感動とは客の期待値を突き抜けた部分を指す」
商品の売買は売り手と買い手の共通認識による「等値交換」です。百二十円の缶コーヒーは、売り手も買い手も「百二十円の価値がある」と了解した場合に売買が成立します。この時、購入者は百二十円分の期待値に見合う満足を得れば「満足」と評価します。そこに届かない場合は全て「不満」です。ところが、「満足」のレベルでは人は次の行動(リピート、口コミ、評判)には移しません。なぜなら、あくまでも等値交換なので、人はそれを当たり前と考えるからです。塾で言うと、「とことん教えます」「分かるまで教えます」「面倒見が良いです」は全て当たり前です。保護者にすれば「当たり前じゃない。だって高い授業料を払っているのだから」という感情を抱くだけです。
ところが、この満足を突き抜けた部分、つまり感動を味わうと、人は新たなメカニズムが動き始めます。それは…人は感動すると誰かに話さずにはいられない…これです。これが次の行動に移すエネルギーとなります。感動した映画を見た人が、友人に対して「ねえねえ、あの映画見た?」と話しかける状況を想像していただくと分かると思います。
塾は口コミ、評判で8割以上を集客する特殊な業種です。いかに感動を提供することが重要か、理解できるはずです。
客の期待値を下げる工夫を
客の期待値を上回る部分が感動だと定義すると、我々が為すべき方策が見えてきます。もちろん、より高いレベルの「商品」を提供することが第一なのは言うまでもありませんが、もう一つの考え方として「客の期待値」を下げるという方法が考えられます。次の例を見てください。 長渕剛が三重県のあるFM局の開局記念イベントに招かれた時のことです。抽選で2百名限定の客を招き、1時間の生放送を行ないました。長渕はトークゲストとして招かれ、局アナとのトークライブを繰り広げました。しかし、集まった客の期待は当然、長淵が1曲でもいいから歌ってくれないかということです。主催者側も心得ていて、番組の最後で「集まってくれたファンのために1曲お願いできませんか?」と促し、長渕も当然のようにギターを取り出し歌い始めました。曲のエンディングに合わせて番組自体は終了します。まあ、ここまでは演出として予想できることであり、集まったファンにとっても想定内のことでしょう。
問題はこのあとです。番組が終了したことを確認した長渕は「番組、終わった?じゃあ、これからが本番だよ!」と言って、わずか2百人の聴衆を前に7曲、1時間に渡って歌い続けました。そこに集まっていたファンは狂喜乱舞、中には涙している人もいたといいます。彼らは一生、この日のことを語り続けることでしょう。
さて、これが8,000円の入場券を払って行った通常のコンサートだったらどうでしょう。長渕が歌うことは「当たり前」であり、そこまで感動することはなかったと思います。聴衆の期待値が低かったため、大きな感動が生まれたのです。
セミナー等で何度も紹介しているのですが、あるホテルのチェックアウトの際に、フロントマンから掛けられた「森様、私どもで何かお役に立てることはありませんか?」の一言に感動したことがあります。チェックアウトも終了し、もう客でなくなった自分に対して、そんな言葉を掛けてもらえるとは思ってもいなかったのです。
客の期待値を低くすることは重要です。以前から「口コミは現役客が、評判は客でなくなった人が広げる」と指摘してきましたが、客でなくなった人、つまり卒塾生は塾に対する期待値は0に極めて近い状態にいます。その卒塾生の家庭に「何か当塾でお役に立てることはありませんか?」というメッセージを送ることは非常に効果的です。年に1回の同窓会を開催しましょうとおススメしているのも、同じ理由です。せっかく、期待値0の「塾のファン」が大勢いるのに、ここにアプローチを掛けないのはもったいないことです。
入塾時にも同じことが言えます。面談のとき、ややもすると大風呂敷を広げて安請け合いをしてしまいがちです。「トップ校合格ですか?お任せ下さい。」「家でなかなか勉強しない?お任せ下さい。」「定期テスト対策?お任せ下さい。」お任せ下さい…お任せ下さい…その度に客の期待値は高くなり続けます。もちろん、それに全て応えられるのでしたら問題ないのですが、少しでも下回ると、全て「不満」という形で噴出してしまいます。事前に「できること」と「できないこと」をハッキリ伝えることで無用の期待値向上を避けると共に、分かりやすい塾、特徴のある塾を構築していくことです。セグメント(見込み客の絞込み)は、そうした意味でも必要な戦略なのです。
2007年度も半分が終了しました。後半期もすぐに過ぎてしまいます。半年間は何もしないでいると「あっと言う間」ですが、何かを為そうとする人にとっては充分な時間です。健闘を期待します。